刀の様子見

梅雨入りしましたので、先日日本刀の様子見をしました。

自分のものではなくても、なんとなく面倒見てる刀が数本あります。

パカパカ開けなくても、年に一度ぐらいは茎を開けて、油を引きなおしてあげるといいですね。

 

夏は冬に比べて、白鞘の木が緩くなります。

冬の間に抜けなくなった白鞘も、これからの暖かい時期にチャレンジすると、スポンとうまく抜けたりします。

 

刀を勉強し始めて約3年、良い先生方に恵まれて、毎年少しづつ目のチカラが育っている自覚があります。

同じ刀でも、久々に茎を開けると気づくことがあったり、昔は分からなかったものが見えるようになったり。

刀はご縁だと思っているので、これからも真摯に向かい合って、良い巡り合わせの機会を逃さぬよう、研鑽を積みたい所存です。

 

次の課題は斬り上げ

今日は刀で斬る活動に参加してきました。

地元の有志の刀好きが集まって、畳表を巻いたものを斬っていきます。

私はパワー不足と技術不足で、全然うまく斬れません。

最近ようやく一番簡単な袈裟斬り(右上から左下に斬り下ろす)ができるようになりました。

逆袈裟(左上から右下に斬り下ろす。右利きの人は袈裟斬りよりちょっとやりにくい)は、50%ぐらいの成功率で、なんとか袈裟斬りはできるようになってきました。

 

 

次の課題は斬り上げです。

全然出来ません笑!!!

刃をかなり寝かせる必要があるので刃筋を通すのが難しいのと、斬るときの体勢が悪く腰が逃げてしまい、体が引けてしまうのと、原因は刀のおじさま方がよく教えてくださるのですが、なかなか体がうまく動きません。

パワーが少ない上に、手首のスナップとかも効かない私は、刀の重さと刃筋を通して無理のないやり方でないと斬れないと思うのですが…

ちょっとこれから要練習です。

袈裟斬りができるようになるまで1年かかったから、斬り上げも1年かかるかなぁ(遠い目)

ゆっくりでも、レベルアップしていければいいと思います。

 

美術屋の語る刀と、歴史屋の語る刀

一生懸命刀の勉強を続けています。

主に過去の展覧会の図録をメインのテキスト、作風辞典や鑑定秘書、全集などを副読本にしています。

 

ふと気になったのは、刀の評論について。

わたしはもっぱら美術畑の人なので、実は歴史の機微はあまり得意ではありません。

図録を読んでいて、著者のバックグラウンドが歴史なのか美術なのかによって、少し語調が変わるのかな?と閃きました。

まだちゃんと検証しているわけではないので、ただの問題定義です。

 

日本刀の美観は語りにくいものです。

専門用語が多いだけでハードルが高くなりますが、その定義もマチマチだし、刀を鑑賞する個々によって見えるものと見えないものがあり、ディテールか繊細すぎてしまいます。

刀を論評する上で文字数を稼ぐなら、歴史的な背景について論述する方がいいでしょうね…。

 

わたしは美術屋さんなので、刀の繊細なディテールをなんとかして、詩的に、作風や歴史的背景に物語を添えて、ドラマチックな論評ができるようになりたいな、と思いました。

帽子から茎尻まで、1本1本を丁寧に。

 

候補としてあげるのは、地元の刀のお師匠さんたちが持っている刀。

備前とか美濃とか駿遠地区の刀工とか、地元で刀を学ぶ上で、よく面倒を見てくれる、おじいちゃん先生たちがたくさんいます。

彼らのコレクションの中から、その刀工について調べて、1本をねっとり鑑賞させてもらって…作品論が書けたらいいなぁ。と思いました。

 

ほう、ちょっと目標できたじゃん。

 

このブログも、作文リハビリのために最近書き始めたものです。

文章を書くことにおける目標ができたのは、嬉しい限りです。

毎日更新を目標にしていますが…なかなか難しいですね。できれば日記ブログにはなりたくないし…(カテゴリーの「日々のこと」は日記です)

今日は、ブログ書けてよかった!!!

 

好きな刀が決められない

「どんな刀が好きなの?」という質問に対する返答が難しいです。

 

まず、勉強中の身の上であるため、刀の好みは常に流動的です。

刀を勉強し始めた頃は、青江や安綱が好きだと言っていましたが、青江や安綱を見る機会はそう多くありません。

 

なので「どんな方が好きなの?」という質問を受けた場合、私は質問を置き換えて返答します。

例えば、見せてもらえるなら津々浦々の名刀が見たいし、もし方の購入する機会があるなら之定が欲しいといいます。

また、見せてもらえる刀があるのなら、その時分に力を入れて勉強している刀を答えます。例えば最近の私なら、今見たいのは新藤五とか貞宗とか…笑。

それから、あまり刀屋さんに行く習慣は無いけれども、刀屋さんのオーナーに「あなたはどんな形のが好きなの?」と聞かれることがあるので、それに対する模範解答を、自分の中で1つ持っていてもいいのかなとは思います。

 

でも好みの刀はいくらでも目移りしていいと思っています。これが人間の話だったらアウトだけれども、美術品は自分が好きな美しいと思えるものが多ければ多いほど心が豊かになり、人生が華やかに彩られるでしょう。

 

これからも好きな方をたくさん増やしていきたいと思います。

また、好きな刀を誰かと共有し語らうことでリテラシーを高めて行けたらいいと思います。

正宗について

相州伝シリーズ、今日は正宗について。

正宗は言わずと知れた刀剣界の巨匠であり、その美しさや品格の高さは他の追随を許さず、不動の地位を築いています。

 

 

正宗・長光・来国俊は、鎌倉後期の三大巨匠とも言え、どの刀工もそれぞれの持ち味を持って後の世に影響を与えました。

  

長光・来国俊は在銘の作や年紀が多く残る中、正宗は圧倒的に銘が残る作品が少なく、検証が困難です。

また、正宗に極められたものでも、作風は実のところ相州風の他の刀工である可能性が強い作風の作品も多数あります。((小声)貞宗とか長谷部とか)

 

このように、そもそも見る機会が少ない正宗ですが、私が正宗の刀を楽しむポイントとしているのは、匂いと沸が重なる奥深く明るく冴えた刃文です。

正宗は天才的な刀工のようで、一つとして同じ刃文がなく、のたれや互の目、丁子など豊かな刃文を焼き、それは流れが止まらない一気呵成な出来です。

刃縁は備前ものに見る匂いを下に焼き、その上に華やかな沸を重ね、さらに金筋や砂流しがかかり、複雑さを増し、捉えどころのない美で私たちを魅了します。

 

この複雑さこそ、相州ものを見るたびに違って見えてくる、現象の一因であると言えるでしょう。

刀の大先輩が先日、「相州ものを見ていると、刀に喝を入れられる気がする」と言ってました。「お前は何を見ているんだ!?」と。

同じ刀でも見るたびにいろんな発見があり、一度で咀嚼できない見所が多い、そんな刀が名刀なんだろうな、と教えていただいた感慨深いエピソードでした。

また、刀と会話ができる心の豊かさを羨ましく思いました。私は、一方的に作品に話しかけていることはあるかもしれませんが、作品と対話するには、まだまだ精進が足りていないようです。

  

また、正宗や貞宗ら相州ものの刀は、備前や山城のように芯鉄・皮鉄を分けず、硬軟の鉄を混ぜ合わせて作刀したと言われます。

なので、貞宗の肌なんかは、研いでも研いでも芯鉄が無いのでずっと同様ですが、来なんかは研ぎ減ると芯鉄が出てきてしまうのです(来肌)。

 

この硬軟の鉄を混ぜ合わせる工法は、正宗オリジナルというより、東国の古の鍛刀技術のオマージュ的な技法だそうです。

9世紀の蕨手刀なども硬軟の鉄を混ぜ合わせた地鉄が見られ、それは正宗に通ずるものがあると言われます。(私自身はまだそれを検証できていない)

 

正宗と同時代の刀工で則重がいます。北国物である則重の松皮肌も硬軟の鉄を混ぜており、ざっくりとした肌合いが見どころとなります。

新藤五国光の山城風の地鉄に、則重風の硬軟の鉄を混ぜ合わせる地鉄が混ざり、正宗に相州の地鉄が完成したのではないか、と考えると相州の流れが分かりやすい、とのこと。

 

古式の鍛錬方法は、技術が伴わなければ美感を損なう危険性を孕みます。

則重と正宗の刃文を見比べると、正宗は刃縁がキリッと明るく冴えた出来になるのに対し、則重は刃縁に地鉄の模様が響き伯耆安綱のような出来になります。

(伯耆安綱は日本刀最古の在銘の刀工ですが、そこへのリバイバルでは、なかなか正宗のような刃が際立って明るい垢抜けた出来と比べると、時代錯誤的で野暮ったい印象になってしまうのかな…というのは、私の推測です。)

  

さぁ、ここまで知ったように書いた正宗ですが、鑑定に出たからといって当てられる訳ではありません。

正宗(正解)の刀に「兼元」と入札してしまい、「どうして相州の最上物を美濃に見間違えたんだ!!!???」と先生の目が白黒してしまったのは、苦い経験です。

その当時は、尖刃風の頭が違った丁子と沸で美濃に入れましたが…地鉄や刃縁の明るさを見極められなかったのは目の経験値不足でした。

 

その後、某展覧会で「伝正宗」の大名物を見た時には、明らかに幅広大鋒の南北朝の姿で「これが噂の、正宗に極められた貞宗ではなかろうか…?!」と自分で気づくことができたのは、ちょっと成長を感じたり。

 

充実した刀生活のために、日々細々とした勉強を続けていきたいものです。

 

相州鍛治の成り立ち

2019年5月29日深夜のブログで、新藤五国光について書きました。

今日は、相州鍛治の成り立ちについて書きます。

 

先にも書いたように、相州鍛治とは、現在の神奈川県で起きた刀鍛冶の総称で、新藤五国光・行光・正宗・貞宗・広光・綱広などがいます。

相州鍛治の作風を相州伝と言い、正宗十哲に数えられるような刀工らや、江戸時代になって新刀期の刀工らが相州の作風を真似ます。

例えば備前(現在の岡山県)で作られた相州風の特徴が出た作品や刀工は相伝備前(兼光・長義など)と言います。

 

相州鍛治の最盛期は鎌倉後期です。

鎌倉時代といえど、源家三代の頃はまだ武士政権の草創期で、前平安時代の踏襲が多かったようです。

すなわち、それは当時の刀剣界にも当てはまります。

鎌倉時代初期の頃は山城や備前の供給を得ており、中期には鎌倉に国綱(山城・粟田口)・備前三郎国宗(備前)・助真(備前・一文字)らが招聘され鎌倉の地で作刀します。

その中で、国綱の粟田口風の上品な作風を踏襲しつつ、修験の凛とした緊張感を持った新たな美的感覚を兼ね備えた新藤五国光が出てきます。

 

ところで、刀剣界には新藤五国光の親・師匠は誰なのか、という大きな謎がります。

室町期から江戸期にかけて多数書かれた伝書・銘尽によると、備前三郎国宗を師、または親と見る説や、もしくは国綱を親、国宗を師、などがあります。

しかし、国綱が建長頃に鎌倉に在住したとすれば、国光の最も古い年紀が永仁元年であり、50年以上の隔たりがあります。

また、国宗助真とは作風が異なるため、なかなか新藤五国光の師の系譜を探るのは難しいようです。

  

なお、国綱・国宗助真が鎌倉に招聘されて作刀したことは確実であるようです。

 

 

新藤五国光の刀

新藤五国光(しんとうご・くにみつ)は、鎌倉時代後期の相模国(現在の神奈川県)の刀工です。

鎌倉幕府のお膝元で作られ、その刀の特徴を持つものを「相州伝」とか「相州物」という言い方をしますが、新藤五国光はその最初の人・鎌倉鍛冶の祖と伝わります。

 

最近、縁があり新藤五国光について勉強しており、奇しくも新藤五国光の短刀を見せてもらう機会があったため、今回のテーマに選びました。

 

新藤五国光のキーポイントは「凛とした佇まい」。

粟田口(国綱)の作風を踏襲する、小板目がよく詰んだ美しい地鉄なんだけど、

刃文が違う。

粟田口のはんなりとした直刃よりも、新藤五国光は沸が強いキリッとした印象の刃を焼きます。

粟田口よりも焼きが強いそうです。

 

 

相州物は新藤五国光のみならず、貞宗や大進房などにも共通しますが、

密教や修験と深いかかわりがあります。

相州の刀は、守護の祈りの表現であるといいます。例えば

(1)蒙古からくる敵を退散させる、国家安泰の祈り

(2)不動明王のようにただそこにいて目を光らせて悪を遠ざける、武士の祈り

など。

  

私は日本刀を理解するときに「命を殺めるための刀」という用途よりも、

「お守り刀」というほうが、日本刀の存在意義や役割として、尊いものがあると思っています。

その点相州の刀は、守りたいという祈りが込められており、

なんとも美しく気高い魅力のある刀だろう、と感じ入ってしまうのです。

 

先ほどの粟田口と比べるなら、

粟田口の短刀が優雅な上品さをたたえているとしたら、

新藤五国光の短刀は凛とした美しさとでも言いましょうか。

新藤五国光の覚悟に満ちた凛とした緊張感や強さを、

ちゃんと見て感じ取れるようになりたいなぁ、と思います。