正宗について

相州伝シリーズ、今日は正宗について。

正宗は言わずと知れた刀剣界の巨匠であり、その美しさや品格の高さは他の追随を許さず、不動の地位を築いています。

 

 

正宗・長光・来国俊は、鎌倉後期の三大巨匠とも言え、どの刀工もそれぞれの持ち味を持って後の世に影響を与えました。

  

長光・来国俊は在銘の作や年紀が多く残る中、正宗は圧倒的に銘が残る作品が少なく、検証が困難です。

また、正宗に極められたものでも、作風は実のところ相州風の他の刀工である可能性が強い作風の作品も多数あります。((小声)貞宗とか長谷部とか)

 

このように、そもそも見る機会が少ない正宗ですが、私が正宗の刀を楽しむポイントとしているのは、匂いと沸が重なる奥深く明るく冴えた刃文です。

正宗は天才的な刀工のようで、一つとして同じ刃文がなく、のたれや互の目、丁子など豊かな刃文を焼き、それは流れが止まらない一気呵成な出来です。

刃縁は備前ものに見る匂いを下に焼き、その上に華やかな沸を重ね、さらに金筋や砂流しがかかり、複雑さを増し、捉えどころのない美で私たちを魅了します。

 

この複雑さこそ、相州ものを見るたびに違って見えてくる、現象の一因であると言えるでしょう。

刀の大先輩が先日、「相州ものを見ていると、刀に喝を入れられる気がする」と言ってました。「お前は何を見ているんだ!?」と。

同じ刀でも見るたびにいろんな発見があり、一度で咀嚼できない見所が多い、そんな刀が名刀なんだろうな、と教えていただいた感慨深いエピソードでした。

また、刀と会話ができる心の豊かさを羨ましく思いました。私は、一方的に作品に話しかけていることはあるかもしれませんが、作品と対話するには、まだまだ精進が足りていないようです。

  

また、正宗や貞宗ら相州ものの刀は、備前や山城のように芯鉄・皮鉄を分けず、硬軟の鉄を混ぜ合わせて作刀したと言われます。

なので、貞宗の肌なんかは、研いでも研いでも芯鉄が無いのでずっと同様ですが、来なんかは研ぎ減ると芯鉄が出てきてしまうのです(来肌)。

 

この硬軟の鉄を混ぜ合わせる工法は、正宗オリジナルというより、東国の古の鍛刀技術のオマージュ的な技法だそうです。

9世紀の蕨手刀なども硬軟の鉄を混ぜ合わせた地鉄が見られ、それは正宗に通ずるものがあると言われます。(私自身はまだそれを検証できていない)

 

正宗と同時代の刀工で則重がいます。北国物である則重の松皮肌も硬軟の鉄を混ぜており、ざっくりとした肌合いが見どころとなります。

新藤五国光の山城風の地鉄に、則重風の硬軟の鉄を混ぜ合わせる地鉄が混ざり、正宗に相州の地鉄が完成したのではないか、と考えると相州の流れが分かりやすい、とのこと。

 

古式の鍛錬方法は、技術が伴わなければ美感を損なう危険性を孕みます。

則重と正宗の刃文を見比べると、正宗は刃縁がキリッと明るく冴えた出来になるのに対し、則重は刃縁に地鉄の模様が響き伯耆安綱のような出来になります。

(伯耆安綱は日本刀最古の在銘の刀工ですが、そこへのリバイバルでは、なかなか正宗のような刃が際立って明るい垢抜けた出来と比べると、時代錯誤的で野暮ったい印象になってしまうのかな…というのは、私の推測です。)

  

さぁ、ここまで知ったように書いた正宗ですが、鑑定に出たからといって当てられる訳ではありません。

正宗(正解)の刀に「兼元」と入札してしまい、「どうして相州の最上物を美濃に見間違えたんだ!!!???」と先生の目が白黒してしまったのは、苦い経験です。

その当時は、尖刃風の頭が違った丁子と沸で美濃に入れましたが…地鉄や刃縁の明るさを見極められなかったのは目の経験値不足でした。

 

その後、某展覧会で「伝正宗」の大名物を見た時には、明らかに幅広大鋒の南北朝の姿で「これが噂の、正宗に極められた貞宗ではなかろうか…?!」と自分で気づくことができたのは、ちょっと成長を感じたり。

 

充実した刀生活のために、日々細々とした勉強を続けていきたいものです。