かわいいチンチラの旅路が良きものでありますように

令和3年4月21日 午前 7時45分、

ペットのチンチラがこの世を旅立ちました。

チンチラのちーちゃん。

結構ペットロスがひどくて、毎晩泣き腫らしており

昨日は仕事を休んでしまいました。

ちーちゃんが亡くなって3日がたち、今日は仕事に行って来れたので、

記憶が鮮明なうちに、ちーちゃんのことを記録に残そうと思います。

以下、動物が死ぬ時の、生々しい描写がありますので、

苦手な方は、読み進まないで下さい。

 

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チンチラのちーちゃんは、20歳超えのおばあちゃんです。

もともと祖父母とともに暮らしていたちーちゃんが

私の家に引っ越してきたのは、令和3年1月4日。

亡くなったのが4月21日なので、

私がお世話をしたのは実質、108日間の短い期間でした。

 

自分では、この短期間の間に、ちーちゃんとかなり仲良しになれたと思っています。

ちーちゃんは流浪のチンチラで、

私でオーナーが4代目か5代目となります。

最初飼ってた人が、叔父に譲り、叔父が飼えなくなって

祖父母に譲り、祖父母から私の家が引き取りました。

叔父の家や祖父母の家など、私の血縁で面倒を見るようになって

15年は経っていると思います。

私が小学生や中学生の頃にはすでに、ちーちゃんがいたことを、鮮明に覚えています。

ただ、叔父も祖父母も「貰われっ子」のチンチラを、

どんな気持ちで世話をしていたのか、は、想像に難くないところです。

かわいいかわいいの猫っかわいがりではなかったことは、確かです。

いつの間にか、面倒くさくて砂浴びもさせなくなっていたし、

うちに引き取る直前、90歳近い祖父母は、チンチラの世話が満足にできす、

ケージもあまり掃除をしてもらえず不衛生な環境で、

餌だけ与えられてちーちゃんは命を繋いでいました。

その状況を知っていたので、私が面倒を見るからには、

今までやって上げられなかった分、20年分の愛を注ごうと

覚悟を決めておりました。

 

以降、

(たまに疲れ果ててサボっちゃったり、家族に代わりにやってもらったけど)

毎日ちーちゃんのケージの掃除をして、新聞紙を取り替えて、

餌も水もフレッシュなものにしてあげました。

部屋の中を自由に動き回る「部屋んぽ」にも、初めて挑戦して、

うちのリビングを自由に楽しそうにぴょんぴょん飛び跳ねて遊んでいました。

目が白内障のように白濁していたので、視力が弱かったのでしょう。

部屋んぽの時は、自動掃除機のルンバのように、

障害物にぶつかると方向転換をしていました。

我が家のリビングは、ちーちゃんの落とし物がたくさんで、

なかなか拾いきれなかったけれど、

それもこれまでの15年、不自由を強いていたことを思うと

ちーちゃんをのびのびとリビングに放っておくほうが、気持ちが良かったです。

 

部屋んぽが終わると、砂浴びの時間である、と言うことを教え込みました。

チンチラにとっての砂浴びは、人間にとってもお風呂のようなものです。

チンチラは毛が抜けやすいので、

ブラッシングで人間が毛並みを整えてあげることが難しかったです。

そのため、砂浴びをさせて、綺麗な毛並みを保ちます。

ちーちゃんにとって、何年ぶりの砂浴びだったのかわかりませんが、

初めて砂浴びの道具をケージに入れた時も、

ちゃんとやり方を忘れずに、クルクルクルクルっと、高速回転で、

砂を浴びていました。

砂浴びをしたら、ご褒美に、リンゴやトロピカルフルーツのおやつをあげます。

チンチラは頭がいいので、ちーちゃんも

部屋んぽ→砂浴び→おやつ、の流れをすぐに覚えました。

砂浴びをした後に、おやつをねだりにくる姿がとても可愛くて可愛くて。

また、まだ寒い時期であったため、私が部屋着の懐にちーちゃんを入れると

15分ぐらい、ずっとおとなしく抱かれて、私の服の中で暖をとるんです。

素手での抱っこは不安定だから、あまり長時間できなかったけど、

この懐抱っこは15~20分ぐらいへっちゃらでした。

かわいそうだから毎日はやらなかったけど、ちょっと、ちーちゃんと遊ぶ時間が

取れる時は、懐に入れて抱っこして遊んでいました。

それは、私にとって、最高の至福の時間でした。

動物セラピーで、どんなストレスも吹っ飛んでしまう、というものです。

また、ちーちゃんとてもかわいいから、私の顔のあたりに顔を出してくれるんです。

ちーちゃんのお髭が私の顔に当たるのがこそばゆくって、でもそれもまた楽しくて。

ちーちゃんは、チュウもしてくれるんですよ。

一緒に飼ってる猫のぱんちゃんは、チュウ断固拒否だけど、

ちーちゃんは、鼻と鼻を合わせたり、人間の顔が近づいても全然平気でした。

そんなふうに、私はちーちゃんとの絆を深めていったのです。

 

それが急変したのが、2月末。

ちーちゃんが餌を残すようになって、様子がおかしいと思っていたのですが、

ついに肩で息をして苦しむようになってしまいました。

動物病院的には、チンチラエキゾチックアニマルという分類になるそうです。

近所の病院ではチンチラを見てくれるところはなかったのですが、

無理にお願いして、受け入れてくれた地元の動物病院でエコーをとってもらうと、

肺に水が溜まっており、それが原因で呼吸が苦しい、とのこと。

お薬を処方してもらいましたが、ちゃんとした原因を突き止めるには、

片道1時間以上かかる都市部の動物病院に連れて行く必要がありました。

専門動物病院に行けず、自宅療養をつづけ、ペレットをお湯でといて

練り餌にして食べさせたり、ペットボトルで湯たんぽを用意してあげました。

2−3日経つと、少し症状が良くなり、餌を食べるようになったため、

専門病院に連れて行くと、レントゲン撮影と血液検査をしてもらい、

心臓が悪い、ということがわかりました。

心臓のお薬と、肺の水を出すための利尿剤を処方してもらい、

治らないだろうけど、うまく付き合いながら命を繋ぎましょう、ということで

ちーの闘病生活が始まりました。

 

私は、毎日朝夜、ちーちゃんにお薬を飲ませました。

否、朝は忙しくて、時間が足りないと、

「ちーちゃんごめん、薬あげられない。姉ちゃん仕事行かないと」

って謝って、投薬をサボりました。

元気が戻ってきたら、部屋んぽも再開させました。

また、肺に水が溜まるのを防ぐため、たくさんお水を飲ませる必要があり、

生のキャベツが、餌のラインナップに追加されました。

我が家でのちーちゃんのご飯は、種類が多くて超豪華だったと思います。

主食のチモシー(牧草)、ペレット2種類(チンチラダイエット)、

生のキャベツ、スパゲッティ(おやつ)、パリパリ野菜(おやつ)、

パリパリりんごまたはトロピカルフルーツ(いずれもおやつ)。

生の野菜は、健康なチンチラに食べさせてはいけない、と聞いたことがあります。

ドライの餌よりも水分を多く含んだ生野菜を食べさせなさい、

と言う獣医さんの指示そのものが、ちーちゃんの最後を予感させるものでした。

 

そうこうしているうちに、我が家にまた新しい家族が増えます。

ちーちゃんの元の飼い主、人間のおじいさんとおばあさんが、

老衰のため、我が家に移住してきたのです。

90歳のおじいさんは足が悪くて、杖がないとトイレにも行けません。

おじいさんがいるときは、ちょっと遠慮して、ちーの部屋んぽもお休みにしました。

ちーちゃんは不満そうでした。ケージから出ようとしているのを、

押し込めて、「ごめんね、今日は部屋んぽ無しなのよ」って言って聞かせても、

分かるはずがなく、不貞腐れて巣穴にこもって、顔を出してくれませんでした。

 

2月に発作が起きて以来、亡くなるまでの約1ヶ月の間に、

2〜3回発作を繰り返しました。

心臓が悪いために、肺に水が溜まって、苦しくなる。

この肺の水、というのが、上手に処置すれば2日間ぐらいで無くなるので、

根気強く薬を飲ませ、お水を多く飲ませ、ちょっとでもいいから餌を食べるように

工夫して、命を繋ぎました。

 

ちーちゃんが亡くなった、4月21日の朝。

私が薬をあげるのを失敗して、

ちーちゃんを窒息死させてしまったんだと思います。

前日、前々日ぐらいから、また餌を残すようになっていたちーちゃん。

その日の朝も、たくさん餌が残っていました。

「ちーちゃんおはよう、お薬飲むよ」、と声をかけて、ちーを巣穴から叩き起こすと、

ケージの中をぴょんぴょん飛び跳ねて、私から逃げ回っていました。

いつも、逃げるちーちゃんを羽交い締めにして、

上着の中に入れて抱きしめて、無理矢理口を開けて、

粉末のお薬を水で解いて、シリンジで飲ませます。

その日の朝も同じように、無理矢理口を開けてシリンジを突っ込んで

薬を流し込んだのですが、いつもと違うのは、その薬をちーちゃんが吐いてしまったこと。

朝、時間がない中だったので、「あーーごめんねちーちゃん、薬こぼしちゃったね」

なんて声をかけながら、シリンジにあと少し残っていたお薬を、ダメ押してもう1プッシュ。

それが、致命的だったんだと思います。

肺に水が溜まって息苦しいちーちゃんは、うまく薬を飲み込めず、

私のスプリングコートの上で、ケヘケヘって何回か吐いてしまいました。

口元を自分で拭えないちーちゃんのために、ティッシュで口を拭いてあげて

今日ちょっと様子がおかしいわ、と膝に抱いていたら、

そのままブルブルっと、震えて、

コテン、と力なく倒れてしましました。

哀れ、それが、20年以上生きた高齢のチンチラ、ちーちゃんの最後でした。

私の膝の上で、私の腕の中で。

抱き起こしても、力なくぐったりしており、

慌てて口の中を確認すると、一欠片のティッシュが出てきました。

あぁしまった、窒息死させちゃった、と思っても、もう、ちーは帰ってきません。

動物の死とは、想像以上に尊いものでした。

あの、道端で死んでる猫や狸のように、硬くコチコチになる前。

ちーの亡骸は、ふにゃふにゃで、暖かく、まだちーちゃんのいい匂いがしました。

ちーちゃんの死を受け止められず、泣き腫らした私は、しばらくちーちゃんを離せませんでした。

そばにいた祖母と母が助けてくれて、ちーの体を包むタオルを持ってきてくれて、

母が私の代わりにちーを抱っこしてくれて、

「とりあえずアンタは、仕事に行きなさい」と。

それで私は、思考停止したまま、5分遅刻で職場にたどりつきました。

 

その日は、職場に体を持って行くので精一杯で、

午前中はちーちゃんの死がショックすぎて、自分の罪の重さに耐えきれず、

涙を流しながら過ごしました。(職場の皆様ごめんなさい)

お昼のお弁当は、ダイエット中だったので、

キャベツのサラダとりんごを弁当箱に詰めて用意していました。

しかし、キャベツもりんごもちーちゃんの餌として食べさせていた食材で、

窒息させちゃったっていう後悔が心の中を渦巻いているから、

お昼ご飯全然食べられませんでした。

多分そのとき、「喉を通らない」というのを、人生で初めて経験したと思います。

午後は作家さんのアトリエ訪問と作品調査が入っており、

目の前のやらなきゃ行けないことがたくさんあったので、なんとかやり過ごせました。

余談ですが、なんと、訪問先の作家さんのお母様も、ちーちゃんと同じ朝に

亡くなったそうです。作家先生は、「先日面会を済ませてきた。どうせコロナだから

病院に行けない」と割り切っていましたが、それも可哀想な話ですよね。

 

作品調査が終わり、家に帰るのは憂鬱でした。

家には、ちーちゃんの亡骸があるから。

家に帰ると、母が、ウエッジウッドの食器が入っていた、かわいい箱を用意してくれており、

そこにちーの亡骸を納めることになりました。

閉店ギリギリの花屋に駆け込んんで「動物を供養するために、この箱に敷き詰める花をください」と

白いガーベラ、白い菊、ピンクのカーネーション、かすみ草を、

たくさん買ってきました。

ちーちゃんを箱に納めるのは、大変苦痛が伴うことでした。

もう、私、ギャン泣き。

ギャン泣き、っていうか、引き攣って、カンシャク起こして、声あげて泣き続けました。

だって、家に帰った時に、ちーちゃんの亡骸が、ビニールに包まれて保冷剤漬けにされているのが、あまりに辛くて。

冷たく硬くなった動物の死骸、と言うのは、私が前から知っていたものと同じで。

私が殺しちゃった、と言う思いがあるから、悔やんでも悔やんでも、悔やみきれません。

硬くなった体、なかなか閉じないお目目(結局最後まで半目)、それでも柔らかな毛並み。

この日は、何時間ぐらい泣いたのか、わかりません。

午前中も仕事しながらスンスン泣いてたし(職場の皆様、迷惑かけて本当にごめんなさい)

家帰ってからもカンシャク起こして引き攣りながら泣きまくったし、

風呂でも泣いたし、飯食いながらも泣いたし、

あまりに憔悴して、いつもよりだいぶ早く23時ごろに就寝する頃には、

ダメだこりゃ、ペットロスが酷すぎて明日仕事行けないや、と思いました。

 

翌日、仕事休みをとって、ちーちゃんを弔う準備にあてました。

父と母が、私の代わりに、地元のペット霊園を調べてくれたので、

午前中のうちに、ペット霊園に伺い、ちーちゃんにお線香をあげて、預けてきました。

霊園までの約20分のラストドライブも、悲しいものでした。

ちーちゃんの闘病が始まって以来、チンチラを診てくれる専門病院に行くまでの往復2時間、

一緒に何度も長距離ドライブしました。

「ちーちゃん大丈夫?車酔いしてない?姉ちゃん隣にいるわよ」

なんて声をかけながら、ちょっとたまに動物用のケージに手を入れてチンチラを触りながら、

一緒に走ったことが思い出されます。

死んでしまったちーちゃんは、小さなウエッジウッドの箱に詰められて、

湯たんぽが好きだったのに、今は保冷剤で四方を冷やされて、

挙げ句の果てに、乗せる場所も、いつもの定位置の助手席の座席ではなく、

直射日光を避けて足元に置いて、足元エアコンを低温にしてかけて、輸送です。

生前のちーちゃんとのことを思い出してしまう辛いドライブの後、霊園につきました。

霊園で、改めて、ちーちゃんの箱を開けると、また涙が溢れてきます。

ちーちゃんの亡骸を見ると、思いが込み上げてきてしまうみたいで、

人様の前にも関わらず、私はまたしゃくりあげて号泣。

私の泣き方があまりに酷く、これ以上霊園の方にみっともない姿を晒すことができず、

最後のお別れはあまり満足にできませんでした。

その日の夜に、他の子と一緒に合同火葬をし、24日(土)に供養をしてくれるそうです。

ちーちゃんは、体重440g、最後の方は痩せて420gでした。

「小さくて骨も残らないのでしょうね」と伺ったら、

「インコでも残るから、大丈夫ですよ」と教えてくださいました。

終始取り乱している私に対し、とても親切な霊園でした。

合同火葬のため骨は持って帰れません。

母は「みんなと一緒に天国に行くから寂しくないね」と言ってくれました。

 

それから、その日は、せっかくとった休みをフル活用して、

ちーが食べきれなかったチモシー(牧草)などの餌を、

お世話になった動物病院が引き取ってくれるとのことで、それを届けに行きました。

ちーちゃんが居ないのに、片道1時間以上の病院までのドライブは

精神的にキツかったですが、ラジオをガンガンに流して耐えました。

チモシーを車に満載して気がついたのですが、ちーちゃんの動物らしい、いい匂いは、

ほとんどチモシーの匂いだったみたいです。

車の中がちーちゃんの匂いで充満していました。

それから、地元の温泉に寄って、帰宅しました。

過度な心的ストレスを受けた時は、熱い温泉に入って

涙も全部洗い流す、というのが私のストレス対処法だったのですが、

ちーちゃんの悲しみは、温泉では流しきれませんでした。

温泉に入った後も、ひんひん泣いてしまったので、悲しみと和解できるのは

もう少し後になりそうです。

 

本日、4月23日は、仕事に行きました。

普通の目のクマって、青くて窪むじゃないですか。

終日泣きはらした目のクマって、赤く膨れ上がるんですね、初めて知りました。

私は今日初めて、目の下だけでなく、まぶたの上までコンシーラーを塗りました。

また、片方の目は二重幅が腫れておかしなことになっており、

四谷怪談のお岩さんみたいなヤバい人相になっています。

ペットロスが酷すぎて、全然本調子ではありませんが、

1日休んでしまったので、職場に行けば、やることはたくさん溜まっています。

 

これから、この記事をアップロードしたら、就寝します。

夜は、ちーちゃんのことを考えてしまうので、辛いです。

寝てる間はいいです、何も考えないから。寝るまでがキツいです。

こんな寂しくて、悲しい気持ちは、いつまで続くのかしら。

結構長引くんじゃないかな、と思います。

ちーちゃんの死期が近いのはわかっていたし、

看取るのは絶対に私の懐の中、と決めていましたが、

まさか、ついさっきまでピョンピョンしてたのが、死んでしまうとは思わなくて。

死の感触が、まだ鮮明に私の手に残っています。

ちーちゃんを懐に入れたこと、ちーちゃんとチュウして遊んだこと、

全てが愛おしくて、尊い思い出になってしまいました。

悲しくて、寂しくて、辛いです。