おじいさんの足洗い

このブログでも以前紹介しましたが、うちは祖父母とともに暮らしています。

最近、90歳のおじいさんが、ひどい水虫を放置して足が膿んで腫れ上がってしまい、

大きな病院で急遽日帰り手術をしてきました。

足の指が大きく腫れ上がり、グジュグジュになっちゃって、

あわや足切り落とさなきゃいけないかと、家族はハラハラしましたが、

術後約2週間、たいぶ患部も落ち着いてきたようです。

 

以降、我が家では、おじいさんの足洗いが、持ち回りの日課になりました。

おじいさんは、結構介護が必要な感じなので、自分1人では風呂に入れないし、

屈んで足を洗うことができないので、誰かが洗う必要があります。

 

手術をした患部は、毎日膿んでおり、おじいさんは「いてぇよお、優しく、そっと」

と、泣き言を言って甘えてきます。

「痛い、ってことは、だんだん治ってるってことだね」と、

適当なことを言い、励ましながら

おじいさんの水虫の足を、たくさん石鹸を泡立てて優しく素手で洗う日々。

まだ、なにかを掴んだ感覚はないのですが、

大切なことを学ばせてもらっているような気がします。

 

それ以外にも、おじいさんとおばあさんの昼飯の心配をしたり、

たまには車に乗って、スーパーに行って、車椅子を推しながら買い物をしたり、

日々のちょっとしたことが、人生の経験になっているような感覚です。

 

おばあさんは、「お墓を整理するための資金が欲しいから、宝くじを買いたい」と

先月から言っており、スクラッチの宝くじを買いに行ったこともありました。

5000円分のスクラッチくじを購入し、3000円当たって喜んでいる、

その気持ちは、ちょっと共感できません。

夢を買う、ということなのでしょうが、当たっていても現金は減っているわけだし、

しかも当たっても、生きている自分のためではなく、仏様のために使いたいとおっしゃる。

このおばあさんの気持ちは、私もあと60歳ぐらい歳を取ったら、わかるのかしら。

 

なお、母方の祖父母のため、一緒に暮らしている父親は、祖父母のケアに一歩引いています。

積極性がないというか、言われたことしかやらないというか。

母も自分の親だから気張ってやっており、父に気を遣って必要最低限の助けしか

求められない様子です。

我が父親ながら、日本のおじさんの悪いところを、家庭内の一番近いところで毎日見ています。

社会一般のおじさんへの期待値が下がるなー、と感じています。

 

おじいさんとおばあさんとの共同生活が始まってから、日々いろんなことが学びになっています。