美術屋の語る刀と、歴史屋の語る刀

一生懸命刀の勉強を続けています。

主に過去の展覧会の図録をメインのテキスト、作風辞典や鑑定秘書、全集などを副読本にしています。

 

ふと気になったのは、刀の評論について。

わたしはもっぱら美術畑の人なので、実は歴史の機微はあまり得意ではありません。

図録を読んでいて、著者のバックグラウンドが歴史なのか美術なのかによって、少し語調が変わるのかな?と閃きました。

まだちゃんと検証しているわけではないので、ただの問題定義です。

 

日本刀の美観は語りにくいものです。

専門用語が多いだけでハードルが高くなりますが、その定義もマチマチだし、刀を鑑賞する個々によって見えるものと見えないものがあり、ディテールか繊細すぎてしまいます。

刀を論評する上で文字数を稼ぐなら、歴史的な背景について論述する方がいいでしょうね…。

 

わたしは美術屋さんなので、刀の繊細なディテールをなんとかして、詩的に、作風や歴史的背景に物語を添えて、ドラマチックな論評ができるようになりたいな、と思いました。

帽子から茎尻まで、1本1本を丁寧に。

 

候補としてあげるのは、地元の刀のお師匠さんたちが持っている刀。

備前とか美濃とか駿遠地区の刀工とか、地元で刀を学ぶ上で、よく面倒を見てくれる、おじいちゃん先生たちがたくさんいます。

彼らのコレクションの中から、その刀工について調べて、1本をねっとり鑑賞させてもらって…作品論が書けたらいいなぁ。と思いました。

 

ほう、ちょっと目標できたじゃん。

 

このブログも、作文リハビリのために最近書き始めたものです。

文章を書くことにおける目標ができたのは、嬉しい限りです。

毎日更新を目標にしていますが…なかなか難しいですね。できれば日記ブログにはなりたくないし…(カテゴリーの「日々のこと」は日記です)

今日は、ブログ書けてよかった!!!